メノナイトの信仰を伝える1つの話があります。メノナイト教会は、宗教改革時代に生まれたアナバプテスト(再洗礼派)がルーツです。 アナバプテストへの迫害が続いていたオランダで、ディルク・ヴィレムスは「再洗礼を受けた(アナバプテストである)」という罪で投獄されていました。ある時、運良く脱獄することができました。彼は氷の張っている池を走って逃げました。ところが彼の脱獄に気付いた官憲が、氷の上を追いかけて来ました。すると池の氷が割れて、官憲は池に落ちてしまいました。ディルク・ヴィレムスは、官憲が池に落ちたのを見て、そこで「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ6:27)というイエス・キリストの言葉を思い出すのです。そして彼は、キリストの御言葉に従い、自分を追いかけて来た官憲を助けに行ったのです。その後、彼は再び捕まり処刑となります。それでも、ただ主イエスの言葉に従おうとした、イエスの弟子としての道を生きようとした、それがクリスチャンの生き方だと信じて、そう行動したのです。
この話が物語るように、何よりもイエス・キリストの御言葉に従う、そして愛と平和の道を歩む、それが、メノナイト教会が大切にして来た信仰です。争いが絶えない、怒りと憎しみが人々の心を傷つけている、戦争が現実味を帯びて語られる、そのような世界、社会あって、私たちは、主イエス・キリストの弟子として、非暴力、無抵抗、絶対平和主義の信念をもって歩んでおります。そして、それを一人ではなく、教会という主にある共同体の中で、慰め合い、励まし合い、赦し合い、愛し合い、そのような交わりに包まれる中で求めて行きたいと願っています。どの教会も御言葉を土台とした教会の交わり、信仰者の交わりを大切にしています。
人の心には神によってでなければ埋めることができない空洞があります。聖書の言葉にこそ、生きるための導き、慰めと励ましがあります。死の問題に対する解決があります。教会には神を中心とした豊かな交わりがあります。どうぞ皆様、ぜひ日本メノナイト・キリスト教会会議の教会においでくださり、神の恵みと豊かな交わりを経験してください。
メノナイト教会会議は、北米ジェネラル・コンフェレンス・メノナイト教会から送られた宣教師によってその基礎が築かれました。宣教師たちは、神からの召しに応え、ある宣教師は船が沈んでも良いように、荷物をドラム缶につめて、戦後の日本にイエス・キリストの福音を伝えてくれました。
宣教開始から60年余、その間、メノナイト教会会議教会を取り巻く状況は変わりました。働きの担い手も、宣教師から日本人牧師へ、また各教会のリーダーたちへと変わりました。しかし主は、変わらず、この小さな群れを通して救われる魂を起こし続けてくださっています。蒔かれた種は、成長し、現在、14の教会、1つの伝道所があります。それぞれの地域で、救われたことを感謝しつつ、手を取り合って、神の御言葉に、主イエスに従うこと、愛と赦し、平和に生きること、そのような信仰の証に生き、主の業に励んでいます。 教会紹介はこちら
「われわれは聖書を信仰と生活の権威ある規範として受け入れ『使徒信条』を告白する。」
1) 唯一なる神を信じる。神は永遠にいまし、全能、全知、遍在である。
2) 父なる神を信じる。
3) イエス・キリストを信じる。イエス・キリストは神の独り子にいまし、世の救い主・主として立てられた。われらはその十字架の贖いの死と死からの甦えり、父なる神のみもとへの凱せんを信じる。
4) 聖霊を信じる。聖霊は恵みによって父なる神と御子より遣わされ、人々をキリストにある真理に導き、信者を慰め力づけてクリスチャン生活を送り福音宣教をなす力を与えられる。
5) 人間は神のかたちに造られながら、高慢と反逆の罪によって堕落し、神との交わりが絶たれている。したがって贖いと和解とを必要としている。
6) われらは悔い改める罪人をあわれみをもって赦す神の恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって救われることを信じる。その信仰は、キリストと聖書に謙虚に従う生活を生み出す。
7) 聖書は聖霊の感動によって与えられたもので、信仰と生活に関する全く信頼しうる案内書であり、また唯一の権威ある啓示である。
8) キリストの体なる教会を信じる。教会は罪を悔い改めてキリストと聖書に従順に従って生きる契約をみずから立てた者たちの交わりであり、たゆむことなく励し慰めあい、信仰のないこの世に向かってキリストによる救いを宣べ伝える。
9) クリスチャン生活は神と人とに対する誠実な愛、キリストへの従順、聖い生活、熱心な祈り、みことばの学び、信者の交わり、積極的な伝道によって表現されることを信じる。